生きにくさには種類があって、この本はコミュニケーションが苦手、ちょっと変わってて常識がないと言われてしまう、趣味にこだわる…などで生きにくさを感じている人が読む為の本です。
アスペルガー症候群かもしれない子、その親御さん、学校の先生たちへの、アスペルガー症候群についての導入に適していると思います。
悩んでいることへのヒントもたくさんで、しかしアスペルガー症候群の子どもでも読みやすい優しい本でした。
最近「生きにくさ」や「変さ」について考えております。
私がそういうことに否定的なのは、自分自身少し「生きにくい」と思っていたり「変な行動してる」と落ち込んだりしているからで、私の感じている生きにくさを否定されるようなことを言われたり、自分は変じゃないかと悩んでいる時は変わり者では生きていけないから可能性を否定するし隠していたりして、いろいろ自分勝手な思いがあったわけです。
私はそこそこやっていけてるから、多分障害はなくて、ないならないでそこに甘えられないから腹が立ったりもして、難儀な性格になったものだなーと思います。
自分が変わってる、人と違う、とか、自分の子どもが悩んでる、と思われたら、この本読んでみてください。
私は自分の偏見を無くすためにも勉強したいと思います。
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心揺さぶられること間違いなし。
青空に菜の花畑が表紙の本です。
書かれているのは向野幾世さんと言う当時養護学校の先生をされていた方です。
素敵な文章でした。
脳性麻痺によって身体が不自由で産まれた人ーやっちゃんーの一生が描かれています。
一部抜粋します。
少し粗筋。
障害を持っていても自立できるように、また差別されずに生きられるようにと活動する「たんぽぽの会」が、フォークコンサートをするかことになり、子ども達の詩にフォーク好きの学生がメロディーをつけてギターで歌うということになりました。
そこで話せないやっちゃんの意思を先生が確認しながら読み取り詩を作っていきます。
以下。
やっちゃんの詩の初めの部分ができたとき、お母さんの京子さんにも見てもらいました。
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う 母さんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
読み終えてもお母さんは無言でした。ただ目がしらをおさえて、立ちつくしていました。
「やっちゃんが、これを……」とかすかに言われたように思います。そのせりあげる思いが私にも伝わってきました。
「わたしの息子よ」と呼びかけた京子さんの詩が私の手元に届いたのは、すぐ次の日のことです。こんどは私が立ちつくしました。
私の息子よ ゆるしてね
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
”重くはない“と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
このお母さんの心を受けとめるようにしてやっちゃんは、後半の詩づくりにまた挑みました。
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
以上。
あとがき最後まではっとなる要素があり、復刊してくれてありがとうと思います。
YouTubeで森昌子さんの歌を探したとき同名のタイトルで似た違う歌詞の曲しか見当たらず、調べたいにもバッテリーが危うい感じになってきたので後日覚えてたら検索書けてみます。
青空に菜の花畑が表紙の本です。
書かれているのは向野幾世さんと言う当時養護学校の先生をされていた方です。
素敵な文章でした。
脳性麻痺によって身体が不自由で産まれた人ーやっちゃんーの一生が描かれています。
一部抜粋します。
少し粗筋。
障害を持っていても自立できるように、また差別されずに生きられるようにと活動する「たんぽぽの会」が、フォークコンサートをするかことになり、子ども達の詩にフォーク好きの学生がメロディーをつけてギターで歌うということになりました。
そこで話せないやっちゃんの意思を先生が確認しながら読み取り詩を作っていきます。
以下。
やっちゃんの詩の初めの部分ができたとき、お母さんの京子さんにも見てもらいました。
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う 母さんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
読み終えてもお母さんは無言でした。ただ目がしらをおさえて、立ちつくしていました。
「やっちゃんが、これを……」とかすかに言われたように思います。そのせりあげる思いが私にも伝わってきました。
「わたしの息子よ」と呼びかけた京子さんの詩が私の手元に届いたのは、すぐ次の日のことです。こんどは私が立ちつくしました。
私の息子よ ゆるしてね
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
”重くはない“と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
このお母さんの心を受けとめるようにしてやっちゃんは、後半の詩づくりにまた挑みました。
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
以上。
あとがき最後まではっとなる要素があり、復刊してくれてありがとうと思います。
YouTubeで森昌子さんの歌を探したとき同名のタイトルで似た違う歌詞の曲しか見当たらず、調べたいにもバッテリーが危うい感じになってきたので後日覚えてたら検索書けてみます。
ガガガ文庫なのでラノベです。
著者は田中ロミオ。
短いので語るつもりはありません。
痛いところを突かれるような学生生活の描写はAURAもだけれど、語り手の立場がそれとは逆だなぁと思いました。
大丈夫、どちらもラストは爽やかです。
ちなみに私、ユメミルクスリはしんどくなってクリアしてませんが言い訳はシナリオライターが複数いたせいにしております。
著者は田中ロミオ。
短いので語るつもりはありません。
痛いところを突かれるような学生生活の描写はAURAもだけれど、語り手の立場がそれとは逆だなぁと思いました。
大丈夫、どちらもラストは爽やかです。
ちなみに私、ユメミルクスリはしんどくなってクリアしてませんが言い訳はシナリオライターが複数いたせいにしております。