心揺さぶられること間違いなし。
青空に菜の花畑が表紙の本です。
書かれているのは向野幾世さんと言う当時養護学校の先生をされていた方です。
素敵な文章でした。
脳性麻痺によって身体が不自由で産まれた人ーやっちゃんーの一生が描かれています。
一部抜粋します。
少し粗筋。
障害を持っていても自立できるように、また差別されずに生きられるようにと活動する「たんぽぽの会」が、フォークコンサートをするかことになり、子ども達の詩にフォーク好きの学生がメロディーをつけてギターで歌うということになりました。
そこで話せないやっちゃんの意思を先生が確認しながら読み取り詩を作っていきます。
以下。
やっちゃんの詩の初めの部分ができたとき、お母さんの京子さんにも見てもらいました。
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う 母さんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
読み終えてもお母さんは無言でした。ただ目がしらをおさえて、立ちつくしていました。
「やっちゃんが、これを……」とかすかに言われたように思います。そのせりあげる思いが私にも伝わってきました。
「わたしの息子よ」と呼びかけた京子さんの詩が私の手元に届いたのは、すぐ次の日のことです。こんどは私が立ちつくしました。
私の息子よ ゆるしてね
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
”重くはない“と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
このお母さんの心を受けとめるようにしてやっちゃんは、後半の詩づくりにまた挑みました。
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
以上。
あとがき最後まではっとなる要素があり、復刊してくれてありがとうと思います。
YouTubeで森昌子さんの歌を探したとき同名のタイトルで似た違う歌詞の曲しか見当たらず、調べたいにもバッテリーが危うい感じになってきたので後日覚えてたら検索書けてみます。
青空に菜の花畑が表紙の本です。
書かれているのは向野幾世さんと言う当時養護学校の先生をされていた方です。
素敵な文章でした。
脳性麻痺によって身体が不自由で産まれた人ーやっちゃんーの一生が描かれています。
一部抜粋します。
少し粗筋。
障害を持っていても自立できるように、また差別されずに生きられるようにと活動する「たんぽぽの会」が、フォークコンサートをするかことになり、子ども達の詩にフォーク好きの学生がメロディーをつけてギターで歌うということになりました。
そこで話せないやっちゃんの意思を先生が確認しながら読み取り詩を作っていきます。
以下。
やっちゃんの詩の初めの部分ができたとき、お母さんの京子さんにも見てもらいました。
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う 母さんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
読み終えてもお母さんは無言でした。ただ目がしらをおさえて、立ちつくしていました。
「やっちゃんが、これを……」とかすかに言われたように思います。そのせりあげる思いが私にも伝わってきました。
「わたしの息子よ」と呼びかけた京子さんの詩が私の手元に届いたのは、すぐ次の日のことです。こんどは私が立ちつくしました。
私の息子よ ゆるしてね
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
”重くはない“と聞いている
あなたの心が せつなくて
わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり
このお母さんの心を受けとめるようにしてやっちゃんは、後半の詩づくりにまた挑みました。
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
以上。
あとがき最後まではっとなる要素があり、復刊してくれてありがとうと思います。
YouTubeで森昌子さんの歌を探したとき同名のタイトルで似た違う歌詞の曲しか見当たらず、調べたいにもバッテリーが危うい感じになってきたので後日覚えてたら検索書けてみます。
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この詩を読ませていただき胸にこみあげてきました。
まさに、僕の身上と同じです。
僕は先天性奇形の鎖肛の高位型と腸の一部が腐食していて生まれてきました。その当時は医療技術は今と比べれば全然違います。
生後直後に緊急手術で人工肛門を造設して手術は終了です。
また、現在の医療技術では生後に一旦人工肛門を造設し乳児(6ヶ月)ぐらいに肛門形成手術を行われます。ですが、手術も困難で術後の予後も難しいとされてます。出生率は5千人に一人の割合です。
この詩を読ませていただき、母も同じような心境になってたと思います。僕自身もそうでした。母から聞いた話ですが、あんたを抱いて一層の事と考えた時もあったと聞いています。
僕の障害のことは昨年より、あるきっかけで世間にカミングアウトすることになりました。
もっと詳しいお話もしたいと思っていますがメールで出来ればお願いしたいです。